ロボットの世界へと足を踏み入れるまで、僕はずっと「21世紀を代表するものなるのはなんだろう」と探していました。大学では情報系のデザインを学び、都市をテーマに今で言うインフォグラフィックスを制作、丹下健三先生の事務所で建築のような実空間を対象にしながら、情報ネットワークとかかわりを持つリアルな存在を対象としてデザインするものを長い間探していました。
1998年、パリで、自律移動型ロボットによる競技会「RoboCup 98 Paris」(第2回世界大会)と出会ったとき、自分がずっとやりたかったことはロボットなのだと感じました。ダ・ヴィンチもル・コルビュジエも、今の時代に生きていたら絶対ロボットのデザインに興味を持つだろう、と。ダ・ヴィンチが飛行機を夢見たように、ル・コルビュジエがサヴォア邸で車社会の到来を想定していたように、21世紀につくるべきものはロボットではないか、いや、ロボットしかないと思いました。20世紀は車とコンピュータは社会を変革する新しい産業だった。そして今は情報がすごく重要になっていて、22世紀から見たらロボットや人工知能、生物学は21世紀を築いた産業の要になっていると考え、歴史的なチャレンジが出来ると思いました。
人が使うものの美しさは、用途をど真ん中に据えることに尽き、ロボットのデザインにおける「美学」もそこにあります。その際に重要になってくるのは、「環境」「人」「テクノロジー」の関係を空間的にとらえながらロボットをデザインしているかどうかです。人間が使って本当に気持ちがいいものなのか、幸せな人間の空間にロボットがいるというインタラクティブな環境が創出されているかどうかなんですね。
もちろん、機械として性能よく動くことは大前提となりますが、それよりもっと大事なのは、生活の中でそれが本当に必要とされているのか、ロボットがいることで昨日より今日のほうがよい世界に思えるか。そういうことになっていないと無理があると思いますね。
これは工業デザインでも建築でも、社会あるいは対象に対してしっかりと響くことが求められるデザインにおいて必要なことだと思うのです。
そしてデザインとは、ごちゃごちゃとした世の中を少し整理する仕事であり、そこに関わる人たちが納得できる共通の美意識の作り方だと考えています。美のルールのようなものです。これからの時代を考えると、市場開発的発想に加えこうしたデザイン的な視点は不可欠です。力学に基づいた技術的な美しさと、社会が求めているものと双方を持つものを、美意識のもとにつくっていくところまで考えていくべきだし、それを見出していくのもデザインの重要な仕事ではないかと考えています。

左から、Posy、Platina、Patin ©Flower Robotics
そんな考えを背景に提案し実現したのがシェアオフィスのビル「axle(アクスル)御茶ノ水」です。トヨタの社員寮だったスペースをスタートアップを立ち上げた人たちがその先に行けるよう起業や事業の創出をサポートするインキュベーションスペースで、コンセプトは「バウハウス2.0」。バウハウスの「技術と芸術の融合」という観点はエンジニアの方々にも響きやすく、施設のオープンがちょうどバウハウス100周年と重なったこともありました。

axle御茶ノ水 ©トヨタ不動産 / Flower Robotics
重要視したのは「美意識」です。スタートアップの人たちは志も高くものづくりにおいても相当に秀でているものの、「美意識」が欠けていると思うことが多々あります。日本はもはや、「技術で世界を制覇する」「上場してスケールビジネスをする」という時代に関わる観点だけではなく、勝負の際にはどこにもできない美しいものといった観点を持つべきです。
しかも、「デザイン」という言葉はものづくりとも経営戦略とも実はとても相性がいい。特にミース・ファン・デル・ローエの「Less is more(少ないほど豊かである)」は経営戦略にも響くし、理念と形態が合理的に一致します。ですので、「axle」ではその空間をきっかけにデザインを自然と意識する場をつくりたいと構想しました。家具はバウハウス所縁のものを選び、人が集まる要所要所にバルセロナチェアなどのミースの椅子やバウハウスの本を置きながら、自然と人が集まるような「溜り場」をつくりました。デザインに触れ、美しさを体感することで世界を見る目がちょっと変わってほしいと思ったからです。
「axle」の直後に立ち上がったのが平等院に現代美術を奉納しようという「奉納プロジェクト」と50年後、1000年後のロボットデザインを手掛けるという今回の大阪・関西万博のプロジェクトでした。おかげで千年も前の想いと、千年後のイメージの中を行ったり来たりするという、濃縮なクリエイティビティに満ちた時間を過ごすことになりました。
「奉納プロジェクト」では国宝をはじめ最高峰の工芸品の数々に触れることができ、その時代の最高の技術を使ったものが歴史をつくり、歴史の証拠にもなっていくのだと痛感。あらためて日本美術を真剣に勉強するいい機会を得て、日本に対する認識も、つくるものの考え方も大きく変わっていきました。国宝の美しい仏像に出会いながら「たぶん千年後も日本人はこういうのを美しいと思うのだろう」と思いを巡らし、「千年後も吉野の桜は咲き誇り、人はその美しさを愛でに訪れるに違いない」と確信しました。
今と昔で大きく変わるのは技術や社会の仕組みであって社会そのものは基本的にはあまり変わりません。技術的なことは進歩しても、人の心や営みはいつの時代でも同じなんです。万博では変わらないものと変わるものをうまくつなぎながら未来のビジョンを見せていきたいと考えました。
そして誕生したのがこれまでの延長線上とはまったく異なる切り口で取り組んだ9種類のロボットのデザインです。デザインテーマは「日本的なる、もののあわれ」。今後いかなる未来が来ようと、日本という歴史と風土から生まれるロボットの姿には、やはり古代からの延長としての情緒や風情が、自然とにじみ出た文化としての形があるはずです。しかもおそらく誰もがAIを使って好きな外観をつくることができる未来がくるでしょう。その自由さも含めて表現に落とし込みました。

左)平等院奉納作品 鳳凰の卵 ©一般社団法人奉納プロジェクト 撮影 藤塚光政
右)Punica ©FUTURE OF LIFE / EXPO2025
僕はものをつくるときはかならず対象の背景となる物語の設定から始めます。僕のクリエイティブはほとんどそこにあると言ってもいいでしょう。
「ものをつくる時は、まずは言葉で表現しなければならない」。このことの大切さを僕はフランスの大学院で切実に感じさせられました。そのために、まず、子どもにもわかる言葉で揺るがないコンセプトを構築します。ロボットデザインなら、ロボットの身体自身が言語となって伝えるようなデザイン、アートなら世界中の誰が見てもイメージや物語が頭に浮かぶテーマを。
今、僕はデザイナーとアーティストも、科学と芸術も、デザインと技術も、本質的な意味においては同じものだと思っています。そして、そのすべてにおいて「美しさ」という感覚が必要ではないかと考えています。人それぞれになにかしらの美意識は存在しています。しかし社会の必然として美のあり方を個々に意識する事が大切ではないでしょうか。美学や美意識をもっと気持ちの良いものとして多くの人に受け入れられるようになれないものか、そんな思いを抱きつつ、日々クリエイティブに携わっています。
フラワー・ロボティクス株式会社 CEO
日本大学芸術学部 客員教授、成安造形大学 客員教授、日本建築美術工芸協会
AACA賞選考委員
受賞:グッドデザイン賞、ACCブロンズ賞、iFデザイン賞(ドイツ)、red dotデザイン賞(ドイツ)
著書:『優しいロボット』大和書房 2021年
