慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究所 顧問
システム工学およびシステムマネジメント論においては、工学的要素の強いプラントや航空機のような人工物、さらには芸術活動をもシステムとして扱う。システムとは複数の構成要素からなり、その要素のどれ一つが欠けても成り立つことが不可能なものである。オーケストラの演奏を考えてみよう。作曲者、指揮者、さらに、弦楽器や、管楽器、打楽器などの演奏者がいて、演奏するホール、照明、聴衆があり、チケットを売る機能も必要である。これらのいずれが欠如しても、成果物としてのオーケストラの演奏を楽しめない*1。
情報の発信は、発信者の属する集団における文化(暗黙知)の影響を受け、言語化された情報が発信者のコミュニケーション技術を介して発せられる。オーケストラの場合、演奏者は、情報の発信者である指揮者のタクトによるメッセージを言語として捉え、それを自分の楽器固有の機能に瞬時に翻訳して曲を奏するという、情報発信で応ずる。指揮者はそれを聴いて、演奏者が指揮者の意図を理解したかどうかを判断できる。この一連のコミュケーションは、指揮者と演奏者との間の情報の共鳴に他ならない。
本稿においては、幕末から明治開化期の短期間に作られた、芸術性の高い工芸品とでも言うべき「チリメン絵」の制作および鑑賞を例に、共鳴をさらに考察してゆこう。
チリメン絵とは摺り上がった大判錦絵(浮世絵版画)を、力によって縮めたものである。錦絵の製作には、上位概念を決める企画者、絵師、彫師、用紙である奉書の制作者、その商人、摺師、絵を売る地本問屋(企画者でもある)、そして受容者としての購入者もがステークホールダとして関与している。すなわち、規模の大きなシステムである。上位から下位へとステークホールダ間で共鳴がおき、企画者の意図や暗黙知が伝えられてゆく。しかし、チリメン絵の制作意図を調べてゆくと、共鳴の経路が通常の錦絵のような単純な一方向ではなく、チリメン絵の製作には、美の受容者が美の創出者としても関わっていることに気づく。
筆者は江戸吉原文化に関する研究の過程で、シワシワに加工された遊女絵に遭遇し、その質感に大いに興味を持った。研究仲間とシンポジウムを企画し、これまで忘れられていたチリメン絵に関する本を作ることができた*2。
図1の左は安政2年(1855)の江戸大地震直後に刊行された、5枚揃い大判遊女絵の1枚「江戸町二丁目和泉屋内鶴の雄」を縮めたチリメン絵である。図1の右は、その一部の拡大であり、白い線で示す皺(シボ)が見えている。既に板行された大判の錦絵(縦355mm、横250mm)が、あたかも縮小コピーのように、面積として36%程度(縦213mm、横156mm)に縮められている。果たして、何を目的として、いつ、誰が、どのような方法で、これを実現したのであろうか?

図1 吉原の遊女「江戸町二丁目和泉屋鶴の雄」を描くチリメン絵(左)。右は左赤枠の拡大図。白線は等方的に圧縮するための互いに直交する3組の皺の方向を示す
チリメン絵の歴史は、文政10年(1827)における『許多脚色帖(きょたきゃくしょくじょう)』に始まる。三代目中村歌右衛門が贔屓だった大坂道修町の薬問屋吉野五運が、文人浜松歌国に依頼して上方芝居の番付や縮小した役者絵を、スクラップブック(画帖)に貼り込んだことに始まる*3。その後、この技術が時間をかけて江戸に伝わったと想像され、幕末から明治維新の短い期間に、江戸(東京)において美麗なチリメン絵が制作された。明治9年(1876)頃になると、安直な図柄の錦絵を圧縮したチリメン絵が大量に作られ、海外に安価で輸出された。これにより、チリメン絵は一括りに玩弄品というレッテルを貼られてしまい、幕末の美麗なチリメン絵は忘れられた存在となった。実態はそうではない。幕末のチリメン絵は優れた工芸品である。
元絵としての大判錦絵に力をかけて縮めることにより、紙に摺られた錦絵は布のような柔らかな手触りとなり、色材の密度が増すことにより彩度が増し鮮やかになる。圧縮の工程によって導入される皺(シボ)は作品に質感を与え、皺が光を散乱するので絵が輝いて見える。かつ、絵に当たる照明と鑑賞者との位置関係により、絵の印象が異なるという特徴を有する。
皺は絵を機械的に圧縮した際の痕跡である。圧縮法は次のようである。図2Aに示す茶色の型紙を用意する。型紙は、平行な溝が彫られた木型に和紙(楮紙)を当て、山型の溝をヘラで紙に転写し作られる。柿渋を塗り炎天下での乾燥を100回ほど繰り返すと、降伏応力がバネのように大きくなり、繰り返しの圧縮作業が可能となる。圧縮の工程を図2Aから2Dに示す。
どのような角度で、どのような順番で皺を入れて圧縮しているのかを解明できれば、チリメン絵の制作法とその魅力が、一層、明らかになる筈である。生成AIによる画像解析により、紙の辺に対する皺の角度やピッチを瞬時に決めることが可能となった。芸術と科学との共鳴である。




チリメン絵は既存の錦絵を縮めたものであるので、残っているものが少ないが、工芸品として美麗なものは画帖として残されている場合がある。画帖に加工される前の状態のもの、あるいは画帖をばらしたものが市場に出ている。画帖を調べると、皺のピッチが狭いものや広いもの、紙の辺に平行(直交)する皺が目立つもの、斜めに入った皺が目立つものなど、制作法が一定でないものが入り混じっていることがある。このことから、趣味人たちは気に入った錦絵が何枚か貯まると、職人にチリメン絵に加工させ画帖にし、これを携行して仲間と見せ合い楽しんでいた可能性がある。多くのチリメン加工職人がいたが、お互いに技術を秘密にしていた。
慶應3年(1867)のパリ万博に清水卯三郎によってチリメン絵が持ち込まれている。日本に画帖として残るチリメン絵画帖とは、制作の動機が異なる筈である。元絵となる大 判錦絵は大量に作られ消費された商品である。一方、チリメン絵や画帖は、趣味人の美意識によって個人的に作られたものである。趣味人同士がチリメン絵画帖を見せあって楽しんでいたとするなら、趣味人は美の受容の最終者ではなく、芸術的価値の発信者とし共鳴をさらに続けていたことになる。
平版の通常の錦絵にはない美的要素を齎したのは、チリメン加工による皺の存在である。皺の存在が、照明の角度と観察者の視点との組み合わせを介して、絵の印象を異なるものにしている。動画でその様子を紹介したいが、叶わない。電気照明が登場する以前の、光源がローソクや行燈であった時代の鑑賞者たちは、揺らぐ光に照らし出されるチリメン絵を、幻想的な雰囲気のもとで楽しんだに違いない。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の世界である。揺らぐ灯りを利用したチリメン絵の鑑賞は、ハイテク利用の照明により容易に 復原が可能であろう。芸術と科学技術との共鳴である。
チリメン絵技術を現代の写真に応用した例を図3に示す。アドリア海に面した石造の教会である。皺の効果により建物の屋根や石の壁に立体感が、さらに遠方の海の波に輝きが与えられている。写真とチリメン絵の共鳴である。
図3 チリメン加工を写真に適用した例。写真撮影 林隆久*1 FORSBERG Kevin, MOOZ Hal and COT TERMAN Howard, "Visualizing Project Management - Models and Frameworks for Mastering Complex Systems" Third Edition, John Wiley & Sons, Inc. 2005
*2 日比谷孟俊、山本親、隠岐由紀子ほか『書物學』32巻(チリメン絵)勉誠社 2025年
*3 赤間亮『書物學』32巻(チリメン絵), pp.10-17, 勉誠社 2025年
チリメン絵の歴史について討議頂いた収集家川上宏氏および、画像の提供を頂いた参宮ブランド「擬革紙の会」堀木茂会長に謝意を表します。
1945年生まれ。慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程修了。
工学博士、博士(文学)。日本電気(株)基礎研究所主席研究員、東京都立科学技術大学(現東京都立大学)工学部教授、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授を歴任。2017年より実践女子大学文芸資料研究所客員研究員。2018年より江戸伝統文化推進燈虹塾代表および塾頭。
専門は材料科学、航空宇宙工学、江戸伝統文化。科学技術庁長官賞受賞(1988年)。
『磁気光学の最前線』(共著)講談社(1989年)、『マイクログラビティ』(共編)培風館(1994年)、『江戸吉原の経営学』笠間書院(2018年)






