一般社団法人 日本建築美術工芸協会

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アートと文化と環境と[4]
パブリックアートの場所
近藤亮介 | 美術批評家、キュレーター

街路のオブジェ、公園の彫像、広場の記念碑など、町にはさまざまなパブリックアートが点在している。それらは当然のようにそこに佇んでいるので、私たちは普段あまり意識することがない。しかし、改めて目を向けてみると、パブリックアートのあり方は時代とともに変化し、美術と社会との関係を如実に映し出していることに気づく。本稿では、複数のテクストと作品を照らし合わせながら、パブリックアートにとって「場所」とは何かを考えてみたい。

パブリックアートと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、おそらく絵画や映像ではなく、彫刻あるいは立体造形であろう。たしかに、石や金属といった頑丈な素材でつくられた作品は、絵具やキャンバスよりも耐久性に優れ、また電力や機械を必要としない点でも、屋外での展示に適している。実際、彫刻は公共空間を構成する主要な芸術形式であり続けてきた。ただ、彫刻と場所との関係は、時代によって大きく変化してきた。

美術批評家のロザリンド・クラウスによれば、西洋彫刻史には大きく3つの段階が認められる。第一の段階は「モニュメント」である。モニュメントは、銅像や記念碑として、歴史上の人物や出来事を記憶するために特定の場所(しばしば公共空間)に建立される。モニュメントが成立するためには、場所による意味づけが不可欠であった。ところが19世紀末になると、彫刻はそうした場所性を放棄する──これが第二の段階「近代彫刻」である。ロダンやブランクーシに代表される近代彫刻は、場所との結びつきを失い、世界中の美術館やギャラリーで展示可能な、自律したオブジェとなった。しかし1960年代末以降、第三の段階にあたる「ポストモダン彫刻」が台頭すると、彫刻は再び場所との関係を取り戻す。ロバート・スミッソンやマイケル・ハイザーらによるアースワークは、大地(アース)そのものを媒体(メディウム)として用いることで、彫刻のあり方を、台座の上に置かれる物体から、場所それ自体を構成する実践へと変容させた。

クラウスは、ポストモダン彫刻を「展開された場における彫刻」として定義し、「建築/非─建築」と「風景/非─風景」との関係から、「印付けられた場所」「場所─構築」「公理構造」という3つの新たなカテゴリーを提示した(図1)。「建築でも風景でもない」という二重の排除によって成立していた近代彫刻に対して、ポストモダン彫刻を建築や風景との境界を横断する実践として捉え直したのである。


図1 「展開された場における彫刻」図式(Krauss, p.284に著者加筆)

「印付けられた場所」は、スミッソンの《スパイラル・ジェッティ》やハイザーの《ダブル・ネガティブ》に代表されるように、土地に人為的な痕跡を刻むアースワークの典型的な形態を指す。「場所─構築」は、スミッソンの《部分的に埋められた薪小屋》やロバート・モリスの《観測所》のように、構造物と風景が一体となった作品を表す。そして「公理構造」は、都市のランドマークを布で覆うクリストの作品のように、現実の建築の記号性を一時的に遮断し、その構造を浮かび上がらせることを意味する。こうして彫刻は、建築および風景から分離・独立した「モノ」から、建築や風景との関係そのものを問う「実践」へと転換したのである。

一方、ランドスケープ理論家のエリザベス・マイヤーは、クラウスの議論をランドスケープ・アーキテクチャーの側から読み替えた。マイヤーは、風景が建築に対する「背景」、文化に対する「自然」、主体に対する「客体」として位置づけられてきたことに着目し、そのような見方を支えてきた西洋近代的な二元論を批判する。そして、クラウスの図式に倣い、従来の「建築のための風景」に加えて、「図化された地」「分節された空間」「最小の庭」という3つの新たなカテゴリーを提示し、ランドスケープ・アーキテクチャーを捉え直した(図2)。


図2 「ランドスケープ・アーキテクチャーの展開された場」図式(Meyer, p.52に著者加筆)

マイヤーによれば、「図化された地」とは、大地の地質・地形を人為的に顕在化させることで、その身体性を回復するものである。「分節された空間」とは、樹木・低木・蔓植物などの植生によって立体的に分節され、図(建物)と地(空地)のあいだに現れる空間性を意味する。そして「最小の庭」とは、均質で形のない「地」に反復的な幾何学パターンを与え、垂直面ではなく地表面によって領域を形成する空間を意味する。これらはいずれも、風景を中立的かつ従属的に扱ってきた近代建築に対する批判であり、風景それ自体が空間を構成する能動的な存在であることを示している。こうしてランドスケープ・アーキテクチャーは、建築と風景、文化と自然、アートとエコロジーといった二項対立を横断するハイブリッドな実践として再定義されたのである。

クラウスとマイヤーの議論は、彫刻とランドスケープ・アーキテクチャーをそれぞれ自己完結した領域としてではなく、建築や風景との関係の中で成立する「展開された場」として捉える点で共通する。そこで重要な意味をもつのは、時間の作用である。近代の彫刻や建築が固定された形態として存在するのに対して、アースワークやランドスケープ・アーキテクチャーは、土壌・植生・気候・人間など異なる要素の連関によって絶えず変化する。したがって、それらは完成された「かたち」というよりも、むしろ時間とともに生成する「プロセス」であると考えられる。

そして、こうしたポストモダンの潮流に共鳴するように、現代美術でも「場所」を静的な空間ではなく、動的な関係として捉え直す動きが活発になった。美術史家のミウォン・クォンは、1960年代後半以降のサイト・スペシフィック・アート(site-specific art、以下SSA)を、「サイト=場所」概念の変遷に着目し、「現象学的」「社会的/制度的」「言説的」という3つのパラダイムとして提示する。SSAとは、美術の商品化と、自律性というモダニズム的観念への批判として現れた、特定のサイトと不可分な芸術の総称である。

「現象学的SSA」は、物理的な場所と特別な関係をもつ作品を意味する。代表例としては、展示場所の条件に応じて制作されたリチャード・セラの巨大な鋼鉄製の作品が挙げられる。セラは、作品を別の場所へ移動することは、作品そのものの破壊であると考えた。一方、「社会的/制度的SSA」は、場所に関わる社会や制度を批判的に問い直す作品を指す。例えば、ハンス・ハーケは、美術館や美術作品の背後に潜む政治的・社会的関係を可視化することによって、芸術制度の中立性が幻想であることを暴いた。またミエレル・レーダーマン・ユケレスは、美術館の維持に不可欠な「清掃=メンテナンス」を作品に取り込むことで、それまで美術の外部に置かれてきた労働に光を当てた。そして「言説的SSA」は、社会問題に直接関与しようとする作品を表す。その先駆者であるスザンヌ・レイシーは、「観客=コミュニティ」との対話や協働を作品の中心に据えることによって、社会問題をめぐる議論を喚起した。

クォンの議論からは、サイトの意味が次第に拡張されてきたことが分かる。サイトは、現象学的SSAにおいて作品サイトと不可分な実在の場所を意味していたが、社会的/制度的SSAでは、場所を支えている政治的・経済的な制度へと広がり、さらに言説的SSAでは、特定の場所に限定されない人種・ジェンダー・環境といった社会問題をめぐる言説となった。つまり、サイトは物理的な「場所」から、制度や人々によって形成される社会的な「関係」へ変容したといえる。それに伴って作品もまた、特定の場所に固定された恒久的で静的な「モノ」から、鑑賞者に参加を促す一時的で動的な「プロジェクト」へと重心を移していったのである。

以上の3者の議論を総括すると、1960年代後半以降の美術とランドスケープ・アーキテクチャーの焦点は、独立した「モノ」から、それを取り巻く「場所」や「関係」へと移行してきたことが分かる。クラウスは彫刻を建築や風景との関係の中で成立する実践として捉え直し、マイヤーはランドスケープ・アーキテクチャーを近代的な二項対立を横断するハイブリッドな実践として見直した。そしてクォンは、サイトが物理的な場所から制度やコミュニティを含む社会的な関係へ展開したのに伴い、作品が「モノ」から「プロジェクト」へとシフトしたことを明らかにした。

これらの理論は、パブリックアートの現在地を考える上で重要な手がかりとなる。従来のパブリックアートは、公共空間に設置される恒久的なオブジェを前提としていた。それらは屋外に展示されているものの、場所との関係が外在的であるという点では、クラウスのいう「近代彫刻」の延長線上に位置づけられる。これに対して、アースワークやSSAは、土地や建築、周囲の環境を作品の一部として取り込んでいった。さらに、作品の「場所」は物理的な空間にとどまらず、制度や言説へと拡張された。その結果、現代のパブリックアートでは、恒久的な作品よりも、一時的に場所に介入し、市民との対話や協働を通じて新たな関係を生み出すプロジェクトが重要な位置を占めるようになったといえよう。

そして、この傾向は現代の日本にも見出すことができる。例えば、槙原泰介の主宰する「干潟と芸術」は、千葉・木更津の干潟をフィールドとするプロジェクトで、鑑賞者は「タイドウォーク」と呼ばれるツアーに参加しながら、作品と環境を同時に経験する。2025年に招聘アーティストを務めた山田悠の《漂流する星座》は、干潟に漂着した流木やゴミなど、さまざまな物体を線で結び、地上の星座として呈示した(図3)。それは、満潮によってその日のうちに消えてしまう儚い星座である。


図3 山田悠《漂流する星座》制作風景(撮影:宇佐美雅浩)

また、藤倉麻子の《オープンサンライズシティ・プロトコル》(東京・京橋のTODA BUILDINGにて2027年11月30日まで公開中)は、2台の大型LEDビジョンとストリートファニチャーのような立体から構成される映像インスタレーション作品で、実写とCGを織り交ぜながら架空の都市の物語が語られる(図4)。その都市は、私たちの暮らしを支える資源・生産・物流など、普段は見えない「広がり」へと通じている。


図4 藤倉麻子《オープンサンライズシティ・プロトコル》展示風景(Photo: Shintaro Yamanaka)

いずれも、作品自体を自律した「モノ」として展示するのではなく、作品を介して人間と環境の複雑で有機的な「関係」を浮かび上がらせる点において、従来のパブリックアートとは一線を画する。それは、「鑑賞」から「経験」への変化、すなわち作品を見ることから、作品を通して世界を見ることへの転換を示唆している。このようなパブリックアートは、たしかに永久性を志向しない。しかし、一時的・仮設的であるからこそ、それを経験した人々の記憶に刻まれ、作品が消えた後も記憶や関係の中で持続していく。つまり、現代のパブリックアートは、物理的な場所にとどまらず、日常に潜む多様な関係を可視化することで、人々が自らを取り巻く社会や環境を別様に捉える契機をもたらす、一時的にして持続的な実践なのである。

参考文献:
・Krauss, Rosalind E., "Sculpture in the Expanded Field," The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths (Cambridge, Mass.: MIT Press, 1985), pp. 277-90. [ロザリンド・E・クラウス「展開された場における彫刻」『オリジナリティと反復』小西信之訳(リブロポート、1994年)、216-26頁]
・Kwon, Miwon, One Place After Another: Site-Specific Art and Locational Identity (Cambridge, Mass.: MIT Press, 2002).
・Meyer, Elizabeth K., "The Expanded Field of Landscape Architecture," Ecological Design and Planning, edited by George E. Thompson and Frederick R. Steiner (New York: John Wiley & Sons, 1997), pp. 45-79.
近藤 亮介(こんどう りょうすけ)
美術批評家、キュレーター。1982年大阪市生まれ。
ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン美術学部(Slade School of Fine Art)卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。ハーバード大学デザイン大学院(Graduate School of Design)フルブライト客員研究員、東京大学教養学部助教を経て、現在、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科非常勤講師。専門は美学芸術学・ランドスケープ史。日英米の芸術・造園の研究を軸に、理論と実践の両面からランドスケープを生活環境として読み解く活動を展開している。編著に『セントラルパークから東京の公園を見てみよう』(東京都公園協会、2023年)、企画・キュレーションに「アーバン山水」(kudan house、2023年)など。