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AACA賞

第28回 AACA賞

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  • 芦原義信賞
    (新人賞)
  • 美術
    工芸賞
審査総評
 30年度のAACA賞には、計45点の応募があった。
 9月27日に開催された第一次選考会において、選考委員による投票並びに討論を行った結果、応募作品の中からAACA賞に相応しい12点を現地審査対象作品と決定した。  
 10月5日から11月10日にかけ、その12作品について選考委員2名以上の構成をもって現地審査に赴き、それぞれ詳細な追加資料等を入手し、設計者からの説明を聞き作品の審査を行った。
 11月11日に現地審査の結果を踏まえて第二次選考会を開催し、午前中に現地審査に赴いた各委員から一作品ずつ簡単な審査報告を受け、午後にはその上で応募者によるプレゼンテーション、ならびに公開審査を行った。
プレゼンテーションおよび質疑応答の後に、各選考委員がAACA賞受賞に相当すると思われる作品4点を記名投票した結果、11人の選考委員の満票を得た作品が2点、過半数である6票を得た作品一点があり、確認のためそれ以外9作品について吟味した上で、まず上記3点をAACA賞、同優秀賞、芦原義信賞の候補とすることとし、3作品を比較して満票作品のうち「出島表門橋」をよりAACA賞にふさわしいものとして選出、同じく「梅郷礼拝堂」を新人賞でもある芦原義信賞に決定し、6票の「越後妻有文化ホール・十日町市中央公民館(段+ろう)」を優秀賞に選出した。
 次に特別賞候補として推薦を選考委員に諮ったところ、「薬師寺 食堂」を推す意見が大半を占めたためこれを特別賞と決定した。
 受賞ランクとして2票および1票を得た残りの9作品を対象として、再度奨励賞の候補を選考委員一人につき作品2点ずつ投票した結果、5票を得た「伊根の舟屋」と4票を得た「川崎技術開発センター」の2点を奨励賞に選出し、そのほかの3票以下の作品を選外とした。
以上の選考のプロセスをすべて公開のもとに行い、最終的に全作品がそれぞれの賞に相応しいか否かを再度確認し、選考委員全員の賛成をもって本年度のAACA各賞の受賞作品を決定した。
最後に、優れた美術・工芸作品を対象とした30周年記念美術工芸賞に対する推薦を求めたところ、「越後妻有文化ホール・十日町市中央公民館(段十ろう)」における高橋匡太氏によるライティングアート作品である「光織」の推薦があり、全員一致でこれを美術工芸賞に選出することとした。

選考委員長 古  谷 誠 章

出島表門橋

作 者:Ney & Partners Japan
      (Laurent Ney/ 渡邉竜一 / Eric Bodarwe / 岡田裕司)
DIAGRAM(鈴木直之、愚川知佳)
所在地:長崎県長崎市出島町6-1
審査講評
 長崎県長崎市にある「出島」は鎖国時代の日本にとって、欧州を含めた海外との唯一の接点としての人工島であり、1638(寛永18)年に築造された。島と街をつないだのは橋長わずか4.5mの組積造の「出島橋」であった。明治時代に入り、中島川変流工事(1887-1889)によって川幅は5mから30mに拡幅され、この橋は消えた。さらに1897年からの港湾工事により出島の南側は埋立てられ、内陸化された島の姿は失われた。
 1951(昭和26)年、長崎市は2050年までに出島完全復活をめざした整備事業に着手。そして2013年、出島表門橋を中心とした設計プロポーザルコンペが実施された。
 設計要件の第一は、史跡である出島内の遺構を損傷しない様杭や橋台の設置は不可であり、第二に過去の模倣や復元ではなく現代の橋のデザインをめざすことであった。
 ここで注目される設計コンセプトは二つ。ひとつ目は出島の風景を尊重するため、上部に構造体を出さず、適切なスケールと表情がつくられていること。歴史的な風景と対話するような構造形態を求めると共に、人が触れるさまざまなディテールや照明が丁寧に設計されている。いまひとつは力をバランスさせながら片持梁形式に近い形で33m余りのスパンを飛ばしている大胆な構造体の着想と工夫。造船の街・長崎の溶接技術や施工技術を駆使しながら、意匠と構造とが一体となった流麗なデザインが堅実に実現へと導かれている。
 さらにこのプロジェクトの成果が高く評価されるのは設計から完成に至る一連のプロセスを市民運動としてデザインしていることである。海から見たことが無いものが入って来たという出島の歴史をなぞり、40m近い歩道橋を地元の造船所で一体製作し、海上輸送の後に、延べ5千人の市民が見守る中、“架橋”を街の祭りごととして成立させているのはまさに奇跡である。 
 街の資産としての愛着醸成が生まれ、完成後も市民自らによるメンテナンス活動が展開されている。ここでは“かたちのデザイン”と“物語の共有”という、モノとコトとが総合的に計画・実施されており、現代の建築・インフラの新しいあり方が提示されている。
 社会的・文化的な価値が極めて高い作品といえる。

選考委員 斎藤公男

越後妻有文化ホール・十日町中央公民館(段十ろう)

作 者:株式会社 梓設計 永池雅人 鈴木教久 加藤洋平
所在地:新潟県十日町市本町一丁目上508-2
審査講評
 新潟県十日町は近年非常に多くの人々が訪れ、メジャーなアートイベントとして知られる大地の芸術祭の里、妻有トリエンナーレの中心地である。その中心市街地の南にこの計画は位置づけられ、従来の北側に位置する越後妻有里山現代美術館と市民交流センター等に結びづけられて中心市街地の活性化を期待される施設である。
 計画地は。3.5mの高低さがあり、その差を活かして全体の建築のヴォリュ-ムを低く押さえることに成功している。施設の特徴は、約700席のホールとエントランスから直結する「だんだんテラス」と名付けられた多目的スペース、そして建築全面の顔となる雁木ギャラリーからなる。
 全館を通して使用する素材を抑制し本実型枠使用のコンクリート打放し仕上げと、木質仕上
げを多用して 精緻なディテールと共に落ち着きのある空間を実現している。 特に「だんだんテラス」は可動壁面によって多様な空間に変容して、市民活動の多様性に対応すると共に公民館利用が共用されるリハーサル室、練習室等の中心施設となっている。
 多雪地域に対応した屋根形状はホールのフライ等も一体に包み込んだ傾斜屋根として、低層部の屋根に落雪スペースを設けて処理し、この大屋根が、周辺の町並みの中に違和感なく溶け込んでいる。最大の特徴である全面100mの長さに及ぶ雁木ギャラリーは、地産の杉材の天井ルーバーとプレキャストコンクリートの列柱からなり、美しい外見を構成している。
 木製天井ルーバーの中に仕込まれたLEDライティングは照明デザイナーとのコラボレーションで、光のインスタレーションを創作し様々な光と色彩の変化を楽しめる。
 前面の広大な駐車スペースは、そのインスタレーションの観賞スペースとなり、冬の雪景色の中で見られる幻想的な風景が想像される。その他、アプローチのモニュメントや館内のサイン、ホールの緞帳等に、アーティストと協力し文化施設にふさわしい空間作りに成功している。
 いづれ妻有トリエンナーレの中心基地として諸外国を含め多くの人々が訪れることが期待され、AACA優秀賞にふさわしい作品である。

選考委員 岡本 賢

川崎技術開発センター

作 者:株式会社 三菱地所設計 林 総一郎
所在地:神奈川県川崎市川崎区殿町 3-25-20
審査講評
 ラジオアイソトープの技術開発を行う公益財団法人の研究施設である。けして小規模な施設ではないのだが、多摩川の河口部にひろがる工業地帯、それも川沿いという立地の景観的スケールの中では、その存在感すら希薄になってしまいがちである。むろん、とりたててこの施設に建築的、景観的な存在感を求める必要はないのかもしれない。しかし、この作品ではそこに果敢にチャレンジし、きわめて優れた成果をおさめていることはまちがにない。 
 施設のプログラムに強く規定されたであろう建築ボリュームの分節とマッシングを際立たせるファサードが印象的である。 外装に用いられた発泡系化粧型枠を用いたPC板に施された凹凸は、一見すると、この景観的なスケールのもとではあまりに繊細であるかに思えるのだが、それが大面積にわたると意外にそうでもないことがわかる。おそらく、白色の塗装と自然光の効果を十分に織り込んだ結果であろう。
 もちろん、夜間の照明効果についても同様のことが期待できるはずである。 このファサードは、多摩川の河川堤防側だけではなく街路側についても適用されており、建築の量塊がしっかりと存在感を際立たせている。
多摩川と市街地とつなぐガラスのエントランスがつくりあげた透過性の高いボリュームもまた、同じような視覚的効果をもたらしているであろう。
工業地帯の景観的コンテクストを反映したデザインは、インダストリアル バナキュラ(industrial vernacular)という語でひとくくりにされることがある。
しかしこの作品はそれを一段高い次元にまで押し上げているように思える。 シンプルな装飾をまとったPC板のファサードは、文字通り工業的な印象を与えるに違いないのだが、そのスケールやプロポーションとテクスチャーは、工芸的な趣さえも醸し出している。
 ともすれば、多種多様な形、寸法、色、素材による工業的な造形要素がばら撒かれ、混沌とした様相を呈することの多い工業地帯の景観を、穏やかにしかし決定的に支配するだけの存在感を、この作品は発している。そのこと実感するのは、多摩川の対岸からの眺望景、あるいは羽田空港を離発着する航空機の窓ごしにみる俯瞰景の中なのであろう。

選考委員 宮城俊作

伊根の舟屋

作 者:京谷友也
所在地:京都府与謝郡伊根町平田546
審査講評
 この作品は、昭和30年までに建築された主屋、蔵と切妻屋根の舟屋が連なる景観から成る伝統的な建造物群を、2005年に文化庁が『伊根町伊根浦重要伝統的建造物群保存地区』に指定した中にある。
私は40年前の夏の日に、海岸沿いの砂利道をバスに揺られて漸くたどり着いた只々静かな伊根浦漁村の記憶は今でも鮮明に残っていたので、この作品「伊根の舟屋」には一際興味と危惧を持ち訪れたのです。
 海からの遠景は、大きく開いた舟入の黒い開口の数が減ってはいるが、切妻の2階建が並ぶ独特の景観は保たれている。 一方、砂利道はすっかり舗装され、若者や外国人観光客が訪れて思いのほか活気があり、観光客のための新しい木造切妻の施設が多く建設されている。
 作者は、古い舟屋を改修して1組だけの宿「伊根の舟屋—風雅」として再生した。
 舟屋は、元々は伊根浦独特の「ともぶと」と呼ばれる軽船を、舟入から屋根のある小屋に引き上げ、漁具格納や漁網干場、漁の準備をする作業場、いわゆる船のガレージであり、2階は寝間にも使われていた。
 改修の際には舟入の機能はすでに失い、自治体事業によって擁壁が設けられ「重伝建」指定の為、復元ができない。入り口は道路から1.5mのレベル差をユニバーサルデザイン対応のアプローチとするために、曳家技術によって1m引き上げ基礎部の強度補強や設備対応と同時にスロープで結ぶことで解消している。元々の柱梁の架構をそのまま表し、微妙に振れる内部空間を生かして宿泊者のくつろぎの場とし、海に接する外部に、船ならぬ湯船を置いて露店風呂とするなど、細やかな仕掛けを組み込みながら、気持ちの良い空間を作っている。本来なら寝間として使われていただろう2階を、常に穏やかな水面を漂うように海を満喫できるベッドルームとして環境をうまく取り込んでいる。細部の納まりに小さな破綻が散見されるが、伝統架構をそのままに現した改修の宿命といえる。宿屋としての内外部共に装飾的表現が全くない、楚々として再生したこの作品に、商業的に活路を目指すのでなく、長い歴史の水脈の流れの中で再生を実現したことに、改めて好感が持てるのである。

選考委員 藤江和子

薬師寺 食堂(じきどう)

作 者:監修:鈴木嘉吉  
復元基本設計:文化財保存計画協会 矢野和之 舘﨑麻衣子
内部基本設計:伊東豊雄建築設計事務所 伊東豊雄
実施設計:竹中工務店 野田隆史 本弓省吾
仏画:田渕俊夫 
須弥壇天蓋彩色:川面美術研究所 荒木かおり
照明計画:LIGHTDESIGN 東海林弘靖
所在地:奈良県奈良市西ノ京457
審査講評
 創建当初の建物は、天平2年(730)頃に建てられたとみられ、天禄4年(973)に焼失しました。その後 寛弘2年(1005)に再建の記録が残るが建物がいつまで存続したか不明となっていた。薬師寺の伽藍は金堂と中門と講堂を結ぶ回廊を中心に置き、その南に仏塔を東西に2基並立する双塔式配置であった。大陸から伝来し白鳳時代に天武・持統両天皇が薬師寺(本(もと)薬師寺)を建立されたおり、我が国では初めて取り入れられた新形式でした。 当時最先端の建築や伽藍の規模・形式が平城西ノ京の薬師寺においても踏襲されている。 東塔だけが創建時のまま遺存し、その美しい姿が称えられてきた。
 食堂の基壇は発掘調査により東西47.2m、南北21.7mと判りました。これを基に朱塗りの大柱の組み物の外観で、内部は建築家・伊藤豊雄氏に依頼された。「古くて新しい空間を」という要望を受け、現代建築技術での可能性を生かし、建築に「力強さ」を加えそして白鳳伽藍が造られたときのようにエレガントさと大陸につながるダイナミズムが感じられることを念頭に取り組んだ。天井には堂内の阿弥陀三尊の光背が広がる雲をイメージしたデザインで、アルミニウム板を金に染め天井に配した。
 日本画家 田渕俊夫氏は食堂御本尊阿弥陀三尊像と壁面14面(45m)の仏画が依頼された。阿弥陀三尊浄土図は6m四方の大壁画です。 
 作者の言葉には「これまでになかったような、今の時代の仏さまを描いてください」という薬師寺の依頼で、形の美しさを超えた崇高さと慈悲深いお顔を自分流にしっかり覚悟し取組みました。当初私の頭に思い浮かんだのは、師である平山郁夫先生の「大唐西域壁画」で玄奘三蔵院伽藍にありますが、20年迄の歳月をかけて描かれました。で私は、長安から大和へ仏教が伝来する道すがらの光景を、絵描きのイメージで描こうとおもいました。最初の「旅立ち」の左端、彼方に小さく見える塔は玄奘三蔵ゆかりの長安の大雁塔です。 遣唐使一行が文物や仏法を携えて日本に戻ろうとする姿をイメージの中で想像して描いたものです。とあった。
 日本建築美術工芸協会は 30周年記念事業の只中でありAACA賞の審査にも注目されたなかで「薬師寺食堂」は総合的に高く評価され選考委員全員一致にて特別賞に決定した。
 特にわたくしは14面の壁画に深い感動をおぼえた。

選考委員 米林雄一

梅郷礼拝堂

作 者:加藤詞史
所在地:千葉県野田市大殿井220-11
審査講評
 埼玉県野田市に、秀逸な梅郷礼拝堂/ワンルームパビリオンを訪ねた。
 応永2年(1395年)に創建された寺院境内の別院計画である。
 このパビリオン外観の特質は屋根にある。日本の風土は伝統的な民家の様にその
屋根の信頼性と共に、厄祓いのシンボルとして「猪」を茅葺きでかたどった例もあると伝えられている。自然と対峙し環境と共生する屋根の形態があまりテーマにならない昨今、礼拝堂の作者は「屋根そのものが信仰の対象である…」とも言いきる。作者の模型による試作の日々は、一枚の紙に曲線を切り込むことによって出来る独自の曲面立体に収斂する。この立体の特質は見る方角による表情が豊かに変わることである。自然を招じ入れる曲面の柔らかさから、スパイキーなシルエット、入口の正面性と奥の礼拝を暗示する二重のボリュームなど。採用された3角形状プランは「旧来の軸線の強い宗教空間を踏襲せず…」堂内に入ると軸線が少し振れる事に気付かされる。
 内観の特質は連携する異形の組み柱である。垂直から水平へと連続する内部を支える細い断面部材の組み柱は6組×3方向 =18組。この3方向からの組み柱はジグザグ状にお互いが支え合い、天井中心では点結合ではなく微妙にずれて、正三角形をかたち作る相持ち構造である。「小さな材が助けあいながら、1枚の大屋根を支えている姿
…」の美しさが祈りの天蓋。 東西様式を超える普遍性か。厳しくジオメトリックであるにも関わらず、自然な心地よさを醸し出しているのは木質だからなのか、或いはジオメトリーが自然そのものだからなのか。 
伝統的寺社木造建築が長年の経年変化、収縮などを考慮していたように、作者は独自の100年単位の木組み工法を提案している。既に様々なイベントを誘発し開かれた「民の施設」を目指す。構想から軒先などのシャープなディテールまで、手つくりの妙と力量を十分に味合わせて頂いた。
 さらなる作者のご活躍を祈念し、この度の芦原義信賞受賞を心からお祝い申し上げます。

選考委員 川上喜三郎

越後妻有文化ホール・十日町中央公民館(光織り)

作 者:高橋匡太
所在地:新潟県十日町市本町一丁目上508-2
審査講評
 日本建築美術工芸協会 設立30周年記念美術工芸賞は、建築家・美術家・工芸家・デザイナー達が連携協力し、芸術性豊かな環境と景観の創造を目指した設立30周年を記念して、今年初めて設けられた賞である。
 受賞作・光り織は、新潟県十日町市の中心市街地の活性化を目指して作られた、ホールと公民館の複合施設の入口回廊(雁木ギャラリー)の軒先のアート照明として作られた。
 大地の芸術祭の施設として、建築家、アートコーディネーター、照明設計者、電気設計者の協力のもとに、100mを超える入り口回廊(雁木ギャラリー)を光で彩る。
 作者は、越後縮(えちごちぢみ)の見本裂から光り織の着想を得たと聞く。
 越後縮は麻織物の一種で、緯糸(よこいと)に強い撚(よ)りをかけて織り上げ、独特の縮シボ(シワ)をつけた夏衣用の織物で、1781-1789年には年間20万反もの生産があり、十日町には縮市場が開設され賑わった。1888年(明治20年)頃に京都・西陣から華やかなちぢみ織の見本裂(みほんぎれ)がもたらされ、十日町の織物は麻から絹へ、昭和30年代には先染めから後染織物へと変わっていった。そして現代、着物人口の減少と共に十日町の宝である織物文化は縮小に向かっていく。230余年にわたり、日本一の豪雪地の厳しい冬を織物とともに過ごして来た十日町の人々にとって、織物は長く生活の一部であったに違いない。
 光り織には1回15分の演出点灯パターンが12ヶ月分ある。春には桜の花びらが舞い踊る優しい表情に、夏には青葉が涼しさを呼ぶ。 秋には周囲の景観と呼応する鮮やかな紅葉を描き、冬には暖かな光が積もった雪の上に広がる。 夕刻になると軒下に発した光り織の輝きは、建物入り口、回廊、列柱、雁木ギャラリー、駐車場にまで広がり、建物の表情を一変させる。
 光り織は、単独のアートとしての存在を超え文化拠点としての建物の存在意義を際立たせる役割を果たしたに止まらず、十日町の持つ豊かな地方文化を斬新な表現で現代に蘇らせ、未来へと継承する手がかりを作った。設立30周年記念美術工芸賞にふさわしい作品である。

選考委員 近田玲子