コトブキ探訪の見学者一言感想
■坂上直哉
 戦後 高度成長期に設立された会社のうち現在も残っているのは0.03%と言われています。コトブキさんの企業イメージの若々しさから、50年継続したら老舗と言われる現代、創業以来92年、約一世紀と伺い、好奇心がくすぐられました。
ある本の中に「老舗とはいつになっても安定に甘えず日々新しさを追って100年200年と続き・・・・」と在ったことを思い出しました。
私なりにコトブキさんの「This is KOTOBUKI」のカタログからポイント思える箇所を独善と偏見で抜粋させていただきました。
1916 数寄屋橋にて創業
1917 ルイ王朝式グランドファーザーチェア 人気を得る
1923 関東大震災にて工場、製材所、営業所焼失 
1925 連結椅子開発(現東大安田講堂に納入)
1936 回転椅子開発(国会議事堂、三菱商事に納入)
1945 第二次世界大戦終わる。 金属プレス劇場連結椅子開発 極東駐留軍施設で連結椅子がブームとなる。 歌舞伎座等多数の重要劇場に納入)
1950 オートリターン式議場椅子を開発(旧都庁に納入)
1956 FRP製椅子の開発(今治市庁舎に納入・丹下健三氏デザイン)
1958 ロールバックスタンドを開発(岸記念館に納入)
1964 1970 1972 東京オリンピック 大阪万博 札幌オリンピック等にFRP製品納入
1972 遊具 サイン(多摩ニュータウンに納入) スリープカプセルを開発
1986~2004
・チェンドゥー・グライダー・ファクトリー(中国)に技術供与契約締結 ・インターカル社を傘下にする(米) ・オーディエンスシステムズ社〔英〕を傘下にする・欧州法人コトブキ・ヨーロッパを設立 ・FIGARO SYSTEMS.Incと提携

コトブキさんの仕事を大正、昭和、平成と省みると、大きく時代が動く時必ず人々の腰掛ける椅子に立ち返り、変化した時代に対し的確な新商品を公(オオヤケ)と言う視点を分母として提案をしているように見えます。
 腰掛ける風景は時代とともに在り、椅子のファンクションは時代を反射鏡のごとく照ら出しているように見えますが、だがそれを先んじて長期にわたり商品にする力には感動します。

汽笛一声新橋・・・の時代のお乗客の多くは汽車の椅子に正座をしていました此の国の長い歴史の中で大衆が”腰掛ける”という革命のスタートだったのでしょう。
それだけに、難しい反面、日本人の美意識、技術、広範な意味での文化が世界の椅子に対してリージョナリズムな面からも大きな提案をしてきたようです。
1986年頃からコトブキさんは基盤技術、開発を含めてのステージをグローバルネットワークの構築へと梶を切ったように見えます。フィガロ社との提携の中から、視覚 聴覚 体感 コミュニケーションを一体化した多言語配信システム劇場椅子は新たなる「快適」への挑戦に見えます。
「快適」をグローバル化と言うコンセプトからアジア 欧米を見据えどのような製品をリリースしていかれるのか今後大いに楽しみです。

深澤会長のお話の中でaacaも社会的なパワーを有するためには学会との連携等、ガバメントとの関係を深く考察しなくてならないと言う重い示唆に感銘と共感を持ったことを最後に記させていただきます。

■石井博美
 イスのプロダクトをリードしてきた「イスのコトブキ」のブランド力については周知のこととはいえ、説明をうかがうといちいち納得させられる「ものつくり」の歴史と内容でした。タウンアートとして自社でも展開しているパブリックアート事業については、深澤会長の「aacaは学会との関係が弱い」という指摘が印象的でした。

■高城和文
 今回、深澤会長のお話を聞いて公共に資する製品について考えさせられた。
昭和40年代にコトブキさんは、オフィス家具市場から、学校や劇場、競技場、公園へとそのターゲットをシフトしたと聞いた。施主(個)のデザイン性や実用性に呼応する製品開発から不特定多数(公)の満足するもの創りへの転換だ。公が求めるもの、空間を形成するデザイン性とともに安全性・堅牢さ・音響効果等々と多岐にわたり、かつ長期間の使用に耐えねばならない。多くの納入実績と製造技術は、まさに「イスのコトブキ」の公へのこだわりが集積されたノウハウの結晶なのだ。

■田上秀司
 私とコトブキとの出会い。古くは小中学校のスクールチェアにまで遡るかもしれないが、ハッキリとコトブキという社名を意識したのは平成6年。私が勤める学校に創立85周年記念館が竣工し、そこにコトブキ製のロールバックチェアが納入された時に遡る。その年、デザイン事務所から学校に転職し、その85周年記念館に関する業務に携わることになったことなど、私事ではあるが、コトブキというとその当時のことが思い出される。




コトブキの皆様、ご協力どうもありがとうございました。